つぼさんの趣味のブログ

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タグ: トルコ

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トルコのアンタルヤで開催されているアンタルヤ・オープンのシングルスで杉田祐一が優勝しました。
>Antalya Open

ATPランキング66位の杉田祐一(Yuichi Sugita)が 62位のエイドリアン・マンナリノ(Adrian Mannarino)に6-1、7-6で勝ちました。
第2セットはタイブレークになりましたが、7-4できっちり勝ちきりました。

ウインブルドン直前の大会なので強豪選手は出場していませんが、それでも2回戦では元世界3位のデビッド・フェレールに勝っていますから、実力アップしているのは確かです。

ATP公式サイトには表彰式での杉田選手の喜びの勝利者スピーチが掲載されていました。
>Sugita spoke to ATPWorldTour.com after winning his first title in Antalya

Instagram Posts.Antalya Open Tennis Tournament

親日国のトルコですから、きっと観客席からは暖かい応援があった事でしょう。
もしかしたらエルトゥールル号の生存者の子孫が観戦していたかもしれません。
>エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia
本大会は今回が第一回大会です。記念すべき大会の優勝者が日本人と言うのも因縁めいたものを感じます。

杉田選手の優勝は日本人選手としては松岡、錦織に次ぐ3番目の優勝となります。

また、次回のランキング更新ではついに松岡さんのキャリアハイ46位を超えて、44位あたりに上がってくると思われます。

錦織選手は芝コートでの負傷が多いですが、杉田選手は芝のコートが得意なようなので、これから開催されるウインブルドンでの活躍が期待されます。彼の活躍で錦織選手のプレッシャーが少し軽くなってくれると良いのですが。

杉田選手のブログの6月7日の投稿には、全仏オープンでの錦織選手のラケットの破壊を受けての彼の意見が書かれています。トップ選手が年間100試合もの全試合を闘争心を絶さず闘い抜く事の難しさ、なるほどと思わされる内容でした。
テニスファンには一読をオススメします。
杉田祐一公式ブログ
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親日国のトルコのカッパドキアで観光中の日本人女子大生の死傷事件がニュースになっていますが、日本人をターゲットにした事件ではなかったようです。
MSN産経ニュース:トルコの女子大生死傷事件、日本人だから狙われたとの見方を否定 菅官房長官

今回、2020年のオリンピック開催地が東京に決まった直後にライバルのトルコの人から、日本語のおめでとうを意味する、「Tebrikler Tokyo」のツイッターへの書き込みが大量にあったようです。
J-CASTニュース:トルコから「おめでとう東京」ツイート多数 オリンピック開催地の決定で
と言うことで、トルコの親日の歴史に関して少し調べてみました、

テレビなどでも時々取り上げられますが、トルコの親日の歴史の始まりは、1890年のオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の遭難事故から始まります。この遭難事故のことをトルコ国民の3割の人が知っているようです。

戦後も大規模な建設に対して、ODAやJICAの援助が行われているようで、国民に広く知られているようです。多額のODAを行っても国民にほとんど知らされていない中国とは雲泥の差があるようです。

エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia
エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertuğrul Fırkateyni)が現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。

現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばにはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。


山田寅次郎
茶道宗徧流の跡取り、山田寅次郎もこの事件に衝撃を受けた日本人のひとりであった。彼は日本の民間からエルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年に、集まった義捐金を携えて自らオスマン帝国の首都・イスタンブルに渡った。

山田が民間人ながら義捐金を持ってやってきたことが知られるや、彼は熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。このとき、皇帝の要請でトルコに留まることを決意した山田はイスタンブルに貿易商店を開き、士官学校で少壮の士官に日本語や日本のことを教え、日本政府の高官のイスタンブル訪問を手引きするなど、日土国交が樹立されない中で官民の交流に尽力した。彼が士官学校で教鞭をとった際、その教えを受けた生徒の中には後にトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマルもいたとされる。

山田がイスタンブル滞在中に起こった日露戦争が日本の勝利に帰すと、長らくロシアから圧力を受け続け、同様にロシアの南下圧力にさらされる日本に対して親近感を高めていたオスマン帝国の人々は、東の小国日本の快挙としてこれに熱狂した。日本海海戦時の連合艦隊司令長官であった東郷平八郎提督にちなんで、トーゴーという名を子供につけることが流行したという。

一方、トルコでもさほど知名度が高い事件ではなく、2012年2月から3月にかけて外務省がトルコの民間会社に委託して行った調査によると、エルトゥールル号の遭難事件を「知っている」と回答したのは29.9%となった。日本の経済協力案件である第2ボスポラス大橋(44.9%)や、マルマライ計画(52.5%)より、認知度は低い結果となった。


ファーティフ・スルタン・メフメト橋 - Wikipedia
ファーティフ・スルタン・メフメト橋(トルコ語:Fatih Sultan Mehmet Koprusu)は、イスタンブルを2つに分けているボスポラス海峡に架かる吊り橋である。イスタンブルを征服し、「征服者(ファーティフ Fatih)」と呼ばれたオスマン帝国の皇帝、メフメト2世に因んだ名称である。第二ボスポラス橋(Second Bosphorus Bridge)の通称でも知られる。

北緯41度5分28秒東経29度3分40秒に位置し、ヨーロッパとアジアを結ぶ。欧州自動車道80号線(E80)及びアジアハイウェイ1号線(A1)が通る。日本の政府開発援助のもと、石川島播磨重工業(現IHI)や三菱重工業などにより建設され、1988年に完成した。同年に開通した瀬戸大橋とは姉妹橋の関係にある。


マルマライ計画 - Wikipedia
マルマライ計画(マルマライけいかく、Marmaray project)はボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネルにより、イスタンブルのヨーロッパ側とアジア側を接続する計画の名称である。Marmarayの名称は計画区域のすぐ南にあるマルマラ海(Marmara)と、トルコ語で鉄道を意味するrayのポートマントー(混成語)である。

マルマライ計画に対し、国際協力機構と欧州投資銀行が主に援助している。2006年4月までに、旧国際協力銀行が1110億円の円借款を、欧州投資銀行が10億5000万ユーロを融資している。マルマライ計画の総工費は約25億ユーロ(約4100億円)と見積もられている。



外務省 トルコ:無償資金協力
平成19年度
「カマン・カレホユック考古学博物館建設計画」に対する一般文化無償

平成15年度
ボアジチ大学に対する文化無償
アナトリア文明博物館に対する文化無償


外務省 対中ODA実績概要
 対中ODAは、1979年に開始され、これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆1,331億円、無償資金協力を1,457億円、技術協力を1,446億円、総額約3兆円以上のODAを実施してきました。


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