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紙幣が一新され、1万円札が渋沢栄一さんになるようです。
2012年に飛鳥山公園に寄り、渋沢史料館、旧渋沢庭園、、晩香廬、青淵文庫などを見物してきたのを思い出しました。

これから、訪れる人が増えることでしょう。

Wikipedia:渋沢史料館によると、
晩香廬(ばんこうろ)は渋沢栄一の喜寿を記念して清水組から贈られた木造の洋風茶室。様々な建築様式を取り混ぜ趣向を凝らした小建築で、賓客の接待に用いられた。
飛鳥山公園 晩香廬

青淵文庫(せいえんぶんこ)は、渋沢栄一の傘寿と子爵昇爵を祝って竜門社会員から贈られた鉄筋コンクリート造2階建ての書庫。「青淵」の名は渋沢栄一の号より。外壁は石貼り、テラスに面した窓の上部はステンドガラスで飾られている。
飛鳥山公園 青淵文庫


渋沢史料館は、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 1931年(昭和6年)11月11日)を生きた渋沢栄一を通して、明治維新以降の日本財界の発展ぶりをうかがい知ることが出来ます。
飛鳥山公園 渋沢史料館


Wikipedia:渋沢栄一によると、渋沢栄一は元大蔵官僚で、
退官後間もなく、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(第一銀行、第一勧業銀行を経て、現:みずほ銀行)の頭取に就任し、以後は実業界に身を置く。また、第一国立銀行だけでなく、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。

第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。1887年ころには、渋沢を慕う経営者や管理職が集まる龍門社が組織され、昭和初期には数千名の会員を数えた[。。。
とあります。